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安土桃山・江戸時代編





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盛岡市中央公民館 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 御薬園・盛岡市中央公民館
 
盛岡市中央公民館 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

江戸時代の初め、南部藩主の薬草園「御薬園」として開設。
江戸中期には下小路御屋敷として、藩主の遊興の場所として使用されました。
幕末には藩士の子弟の学校「明義塾」として使用。
1908年(明治41年)には南部伯爵家の別邸が建設されました。
この別邸の庭園の紅葉は、盛岡の中でもとくに美しい紅葉が楽しめます。
時期は遅く、10月末〜11月初めです。
また館内の郷土資料展示室には、戦後南部家から譲り受けた、古文書、絵図、衣装、武具、調度品などが所蔵、展示されています。

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御薬園
御薬園古図

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盛岡市中央公民館 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

開館時間 9:00〜21:00(日曜日は17:00まで)
郷土資料展示室 9:00〜17:00(受付は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)、国民の祝日、12月29日〜1月3日
※臨時休館あり
TEL 019-654-5366
所在地 岩手県盛岡市愛宕町14-1
ホームページ http://www.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/chuo/mcch/

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盛岡市中央公民館 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春


江戸時代

上の橋 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
上の橋
盛岡城下
 
下の橋 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
下の橋

上の橋(1609年)

慶長14年10月創設。
擬宝珠銘文に「慶長十四年巳酉年十月吉日 中津川上之橋 源朝臣 利直」とあります。
上の橋は大手門から京町〜銅屋町〜紙町に通ずる橋であり、「紙町の橋」とも呼ばれていました。

下の橋(1611年)

慶長16年9月創設。


擬宝珠

中津川の2橋には、京都加茂川の大橋になぞらえて、「上の橋」は長さ二十間、幅三間、「中の橋」は長さ二十一間、幅三間の橋で、高欄に青銅擬宝珠(ぎぼし)を付した名橋であり、城下町盛岡の象徴です。

この擬宝珠は南部家の所伝に従えば、南部藩主第十二代南部近江守政行が、在京中に加茂川の橋の擬宝珠を移す勅許を得て、これを居住地三戸城、熊原川の橋につけ「黄金橋」と称したとされています。

慶長のはじめ、不来方城の築城に着手し、城下を流れる中津川に上の橋、中の橋、下の橋の3橋をかけ、上の橋と中の橋の2橋にこの三戸城下黄金橋の擬宝珠を移したものといいます。


上田堤(高松の池) 上田堤(高松の池)
 
上田堤(高松の池)

<高松の池(上田堤)>

城下町造成以前の不来方(盛岡)の地形は、北上川と中津川との洪水氾濫で、沼沢や谷地の多い湿地帯をなしていました。
また上田方面からは、現在の高松の池の北の方の山地から流れ出る沢水が、上田、赤川、仁王、長町方面に浸出してきて、やはり一面の湿地帯でした。
これが盛岡の町づくりの障害となっており、上田方面からの沢水対策として、寛文元年〜寛文12年(1661〜1672年)までの12年間をかけて上田堤(現 高松の池)を築き、沢水の浸出を防ぎました。
これにより上田、赤川、仁王方面の宅地造成が一挙に進みました。
現在高松の池は、市民の憩いの場であり、また当地の桜の名所です。

上田堤(高松の池) 上田堤(高松の池)

高松の池 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

<上田堤の歴史>

上田堤は上堤、中堤、下堤の三段階になっていました。現在の堤は中堤のみです。

1661年(寛文元年)頃
工事着工。
1672年(寛文12年)頃
一応の工事が完成し、これにより上田、赤川、仁王方面の宅地造成が進む。
1673年(延宝元年)6月11日
上田堤決壊する。同年工事着工。溺死5人、破損家屋10余軒。
1810年(文化7年)8月
上田下堤を普請。
1814年(文化11年)2月
上田中堤を普請。
1815年(文化12年)
上田中堤を普請。
1852年(嘉永5年)9月
上田三堤のうち、鳥溜、御用水兼用のところ、上台新田開発で鳥溜御用池停止となる。
1906年(明治39年)
日露戦争の戦勝を記念して池の周囲に桜樹が植えられる。
1999年(平成元年)
日本のさくら名所100選に選ばれる。

上田堤(高松の池) 上田堤(高松の池)

上田堤(高松の池)

<日本の桜名所百選(東北六県分)>

 
○青森県 弘前市 弘前公園
五所川原市 芦野池沼群県立自然公園
○岩手県 盛岡市 高松公園
北上市 北上市立公園展勝地
○宮城県 柴田郡大河原、柴田町船岡城址公園、白石川堤
○秋田県 秋田市 千秋公園
横手市 真人公園
仙北市 桧木内川堤、角館武家屋敷
○山形県 鶴岡市 鶴岡公園
南陽市 烏帽子山公園
○福島県 会津若松市 鶴ヶ丘公園
二本松市 霞ヶ城公園
田村郡 三春町のシダレザクラ

> 日本さくら名所100選

上田堤(高松の池) 上田堤(高松の池)

上田堤(高松の池)

上田堤(高松の池)絵古図

盛岡略年表

安土・桃山時代
1578
天正6年
大浦為信波岡城を攻略し浪岡御所北畠顕村を自害させる
1579
天正7年
安東愛季勢、津軽に侵攻し、大浦為信と激戦を展開
1582
天正10年
南部晴政、三戸城で卒す。南部信直を三戸城主に迎える。信直、弟政信を波岡城に入部させ津軽郡代とする
1583
天正11年
安東愛季、浅利勝頼を檜山城に謀殺し、比内郡を併合
1585
天正13年
大浦為信、外浜油川城を攻略。同南部光康の横内城を陥落させる。名久井城主東政勝、南部勢3,000騎を率い、八甲田山を越えて浅瀬石城を攻めるが大敗
1586
天正14年
南部信直、斯波滴石城を攻略す。滴石氏(斯波支族)滅ぶ
1588
天正16年
三戸南部信直、斯波高水寺城を攻略。斯波氏滅亡
1589
天正17年
湊安東通季、安東実季を湊城に急襲、湊合戦勃発。秀吉、南部信直に秋田、津軽討伐を告げる
1590
天正18年
南部信直、小田原に参陣。豊臣秀吉、宇都宮で南部信直に対して南部七郡の本領安堵の朱印状を下す。津軽(大浦)為信、秀吉から領地支配を安堵される。安東実季、秀吉から領地支配を安堵される。小田原北条氏、降伏
1591
天正19年
九戸政実の乱おこる。浅野長政、南部信直に対し、不来方の地に築城を勧奨す(盛岡城)。九戸城落城、南部信直入城し、福岡城を攻める
1592
文禄元年
南部信直、関白秀次から朝鮮出兵を命じられる
1594
文禄3年
南部信直、岩手郡不来方の地を居城に決定す
1597
慶長2年
盛岡築城工事、城下町設営工事が本格的に始まる
1598
慶長3年
南部信直、盛岡城に居住す。同年信直、病気にて死亡
1599
慶長4年
南部信直、二戸郡福岡城で没す。利直、南部27代を継ぎ、盛岡藩主となる
1600
慶長5年
家康の命により、南部信直、兵5,000を率いて出羽山形に出陣す。関ヶ原の合戦、津軽為信出陣
1601
慶長6年
利直の軍、和賀岩崎城を火攻めにし、これを攻略す(和賀氏滅亡)
1602
慶長7年
鹿角白根金山が発見される


江戸時代
1614
慶長19年
利直、大阪冬の陣に出陣
1615
元和元年
大阪夏の陣おこる
1625
寛永元年
三戸旧城下の町民を盛岡に移す
1632
寛永9年
南部利直が江戸桜田邸で逝去す
1633
寛永10年
南部氏10万石の軍役に定まる。この年南部重直、盛岡城を永代藩主の居城と定める

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