盛岡の観光 盛岡広域タウン情報 観光,歴史,文化,人物,自然,祭り

盛岡

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岩手山と御所湖大橋 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
つなぎ(繋)温泉物語 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
シオン像 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

1000年の歴史を超えて

つなぎ温泉は950年の歴史があり、盛岡市街地よりも古く、平安時代の発見とされています。
平安時代の最大の戦いである前九年の役の折、厨川柵を攻めた源義家が発見したという言い伝えになっております。
以後この地に住み着いた人々は1000年の歴史を超えて安住の地を守り、歴史のうねりを越えながら発展してきたつなぎ温泉は歴史の宝庫です。
しかし現在は古い面影は全く失われ、一部の遺跡群と社神のみが残っているだけです。
にもかかわらず、温泉だけは1000年もの間、沸き続け、人々を見守り、人々を癒し続け、今日にいたっております。
古い物が全く失われた温泉地ですが、新しい時代に合った温泉地に変貌しつつあります。


御所湖広域公園と周辺案内・御所のいわれ

御所ダム 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 御所ダム 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

御所ダム(御所湖)

東北第一の大河 北上川の支流、雫石川に建設された北上川の五大ダムの1つ。
石淵、田瀬、湯田、四十四田の後の第5番目の多目的ダムです。
水面の面積は五大ダムの中で最大のものです。

建設は昭和47年4月に着工し、昭和57年3月に完成しました。
10年の歳月を要して建設されたダムです。

ダム周辺は昭和55年より広域公園事業が開始され、岩手県の都市公園事業として行われており、今尚、建設中です。
ダムの北側は岩手山、秋田駒ヶ岳を中心とする奥羽山脈、小岩井農場、南側は当つなぎ温泉、東側は盛岡市街、西側が鶯宿温泉です。

つなぎ温泉正面、岩手山すそ野に広がる小高い山々は宮沢賢治の詩に出てくる七ツ森です。

ダムの中央には620mの繋大橋がかかり、これを渡りきるとつなぎ温泉に入ります。

温泉地にしては極めて風光明媚であり、また交通の便が良い温泉地です。

御所湖 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 御所湖 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

御所湖広域公園地図 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春


京都でもないのにどうして「御所」?
〜南北朝時代(1333〜1392年)〜


延元3年(1338年)5月
南朝の師 北畠親房 は泉州石津の戦いで長男 顕家 を失う

同年(1338年)9月
北畠親房は長男顕家を失った後、後任に次男 顕信 を陸奥介鎭守大将軍に任命す

延元4年(1339年)9月
北畠親房、常陸の小田城に拠って「神皇正統記」を著す

興国元年(1340年)春
北畠顕信、吉野から奥州に出陣し、石巻の日和山に将軍府を置く

興国2年(1341年)3月
顕信、八戸南部政長、滴石の戸沢、和賀、河村氏に対し北朝軍を対治指令し票屋河合戦を発動す(現盛岡)

興国4年(1343年)春
顕信、将軍府を石巻から南出羽に移す

興国6年(1345年)9月
顕信、南出羽より滴石に出陣
正平元年(1346年)春
顕信、岩手郡滴石大字綱木(つなぎ)の地に駐留す(滴石御所の始まり)

正平5年(1350年)3月
上田城合戦を指揮(現盛岡市)

正平6年(1351年)11月
顕信、滴石御所より出陣し府中奪回作戦。府中の占拠に成功

正平7年(1352年)7月
顕信、滴石御所より福島県宇津峰城に移る


年譜を記しましたが、南北朝時代、南朝の師 北畠親房の次男、陸奥介鎭守大将軍北畠顕信公は、正平元年(1346年)春から正平7年(1352年)7月までの約7年間、当地に駐留し、南朝軍(八戸南部氏、滴石戸沢氏、和賀氏、河村氏)の指揮に当たりました。
この時顕信の住居地を滴石御所と称し、これが現在の御所の地名の起こりとなっています。
現在、文献に残る滴石御所の場所は特定されておりません。

御所湖公園(手つなぎ広場) 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 御所湖公園 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

綱木温泉の発見と前九年の役−平安時代

黄海の柵で貞任に敗れ敗走する源頼義・義家 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
○黄海の柵で貞任に敗れ敗走する源頼義・義家
貞任捕まる 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
○貞任捕まる

繋の湯は「承平3年(933年)の発見と伝えられる」という記述があります。

前九年の役とつなぎ温泉
〜前九年の役(1058〜1064年)〜


平安時代の前九年の役の最後の戦いである厨川柵の戦い(康平5年(1062年)9月)で源義家が柵を攻めた折、この地に温泉を見つけて将士の戦傷を癒したと伝えられています。

地内に「繋石」といって源義家が愛馬を繋いだという伝承の石があり、これが繋の名の起こりだと伝えられています。

しかし当時の地名は綱木です。

推定ですが、綱木の湯はこれ以前から湧いており、厨川柵で敗れた安倍一族の湯治場であったと見る方が確実性が高いと思われます。
綱木が繋になったり温泉が義家の発見になったりしているのは、源氏にあやかったものでしょう。

義家は綱木の湯がよほど気に入ったとみえて、その後の後三年の役の後も再々綱木の湯を訪れている記述があります。

綱木が繋に変わったのは戦国時代で、その前の室町時代、当地を支配していた滴石戸沢氏の時代は綱木です。

滴石戸沢氏は三戸南部氏に敗れて山形県新庄に移りますが、三戸南部氏は源氏であり、源氏をたたえて綱木を繋にしたのではないでしょうか。

厨川柵炎上 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
○厨川柵炎上
貞任、重任、経清は首縄となり京に送られる 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
○貞任、重任、経清は首縄となり京に送られる

繋七名湯−江戸中期の繋温泉

江戸中期のつなぎ温泉

泉質の良さと盛岡城から近かったことで、藩公一族と上級士族の湯治場として発展、殿様はこの温泉で頻繁に湯治をしており、この地からお城へ伝達、命令を下していました。
また上級士族の宴会も当地で行われていました。

当時、湯坪屋根板四側板囲、庭割板敷とあり、「荒湯」「滝の湯」「中の湯」「薬師の湯」「古宝の湯」「眼洗湯」「込の湯(ごみの湯)」の7ヶ所の湧口があり、俗に「繋7名湯」と呼ばれた温泉でした。
「来客は盛岡城下の諸士、町民いずれも相用る湯也。湯治之者春秋共有之。」とあります。

湯元より盛岡迄道規小道二五里程。

江戸中期のつなぎ温泉 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 繋温泉神社 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春
現在のつなぎ温泉 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春 現在のつなぎ温泉 岩手県盛岡市繋温泉(つなぎ温泉)ホテル三春

温泉神社(薬師如来を祭る)は当時と位置は変わっていない。
古来、温泉は薬であるとの解釈から全国どこの温泉地でも温泉神社があり薬師如来が祭られている。
また山形県羽黒山の御神体は温泉である。


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