伝統・文化 南部鉄器 南部鉄器の歴史 盛岡の南部鉄器は、文化に関心の高かった南部藩主が江戸時代中期に京都から釜師小泉五郎七清行を呼び、茶の湯釜を作ったのが始まりと言われ、南部藩主の保護のもとに甲州(山梨県)からも鋳物師を招き、茶の湯釜、仏具、鉄瓶の産地として発達しました。 一方、奥州の南部鉄器は、平安時代後期(約930年前)に藤原氏が京都や近江の国(滋賀県)から鋳物師を招き、仏具や鉄鍋釜を造らせたのが始まりで、江戸時代に伊達藩の保護を受けて、鉄鍋釜、仏具の生産が活気的に伸び、明治時代初期には東北一の産地となりました。 昭和34年に盛岡と奥州の両産地で造られた鉄器を「南部鉄器」ブランドとして認められ、昭和50年、国の伝統文化工芸品として第1号指定を受けました。「南部鉄器」ブランドとなってからは、国内だけでなく世界中に輸出されています。 南部鉄器とは 鉄瓶、急須、鉄鍋、風鈴など様々な南部鉄器は、銑鉄を主原料として造られています。 また砂鉄を原料として砂鉄鉄瓶や急須を造っている工房もあります。 南部鉄器の鉄瓶で沸かしたお湯や鉄鍋で調理した料理には、鉄分が多く含まれることが立証されていて、鉄瓶や鉄鍋を使用し、人体に必要な鉄分を補給できるのも特徴です。 また、鉄瓶でお湯を沸かすとまろやかになるといわれます。 これは、蓄熱性が高いため沸点をキープして湯をしっかり沸かすことができることが一つの要因のようです。 最近は、南部鉄瓶は伝統的なおもむきのあるデザインで、やかんや急須としてもすぐれていると、再注目されまています。 一部のメーカーでは海外輸出もしており、カラフルな急須をはじめ、さらにデザイン性の高い商品が発表され人気となっています。 また、街灯やサインなどのストリート・ファニチャーとしての評価も高く、伝統工芸品としての価値が見直されています。 南部鉄器を購入できるお店はこちら 伝統・文化