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盛岡ヒストリー(縄文~安土・桃山時代)

三十八年戦争(奈良時代から平安時代始め)

現在の盛岡・滝沢・雫石・矢巾・志和地域は古代より「蝦夷[エミシ]」と呼ばれる人が住み大和政権の及ばぬ地域でした。

朝廷は(645年)大化の改新を契機として「律令」という法律を基に、全国に国・郡・里という行政単位で土地と人々を直接支配し、税を納めさせていましたが、この北上盆地の人々は、これに従いませんでした。

そこで朝廷は(770年奈良時代)坂上田村麻呂を陸奥鎮守府将軍として、この地に派遣しました。
しかし(774年)海道蝦夷が反乱を起こし全面戦争に突入しました。これが三十八年戦争の始まりです。
(781年)桓武天皇が即位すると朝廷軍は岩手県南部まで軍事行動を開始し胆沢地方を占領しました。

さらに(797年)朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、(802年)胆沢城を造営、このとき蝦夷の首長、阿立流為らは降伏しました。
翌(803年)には志波城を造営し、北上盆地北部まで、律令支配下となりました。

(811年)爾薩体・幣伊の蝦夷が反乱、志波城を拠点としてこれを攻略、同年徳丹城を造営、ここに三十八年戦争は終結しました。





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