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盛岡城ーその2

【下曲輪】 下曲輪とは、三ノ丸の北側の下段から、外曲輪(内丸)へ出る綱門の内側までの地区です。 この地区は、三ノ丸の腰曲輪的な南側の上段(現在の桜山神社の拝殿と社務所)と、その北側の下段(現在の商店街)とに分かれます。 上段の北側中央には「鳩門」が設けられ、そこから東半分は石垣が積まれていましたが、現存していません。 北側の西半分は、堀(亀ヶ池)に面して土手のままです。 下段の方は三方を土塁と水堀(東は鶴ヶ池、西は亀ヶ池)に囲まれ、北側中央には「綱門(櫓門)」が設けられていました。 下段の東半分には、寛政6年(1794年)に「勘定所」が設置されていました。なお、下段の北東部の隅には鐘楼がありますが、これは藩政期に日影門外小路の西裏にあった「時鐘」で、現在は市指定の文化財として保存されています。

綱門跡

勘定所跡

鳩門跡

【台所】 腰曲輪・二ノ丸・三ノ丸によって南・西・北の三方を囲まれ、東は堀(鶴ヶ池)に面しています。 東側の堀は、土橋を境にして食い違いとなり内側に桝を設けました。枡形を右折したところに「台所門」がありました。 郭内の南部に台所が設けられていましたが、具体的な内容は不明です。 また台所跡の広場と二ノ丸との間には、通称「不明御門通り」と呼ばれる、南北に細長い腰曲輪があります。不明門から本丸と二ノ丸との間の堀切の東端へ通じています。

台所門跡

不明御門通り

【蔵・米蔵】 腰曲輪の西側の吹上門を出て、坂を下ったところに「川口門」がありました。 その西側は北上古川が天然の水堀となっていました。北上古川の対岸の菜園へは、屈曲した「筋違橋」で連絡していました。 吹上門の下から腰曲輪の南側には蔵や米蔵が建ち並んでいました。現在は一棟だけ残り保存されています。
【盛岡城の堀】 盛岡城の遠曲輪、外曲輪の堀は、現在は道路となり、存在していません。 下曲輪と台所東側の堀、三ノ丸の北側に残るだけです。

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