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盛岡城ーその3



【外曲輪門・盛岡城三大門】

盛岡城の北側を囲む外曲輪を「内丸」といいました。現在の内丸官庁街です。
外曲輪の東側は中津川に面しており、北側から西側にかけて水堀をめぐらせています。
堀や川の内側には土塁があり、各辺に一ヶ所ずつの門を設けていました。
北側には「大手門(追手門)」、東側には「中ノ橋門」、西側には「日影門」がありました。これを盛岡城三大門といいました。
また下の橋には搦手の「下ノ橋門」がありました。 外曲輪の内部、内丸には、南部氏の御一門や御三家をはじめ、重臣たちの屋敷が建ち並び、南西部には藩主の御用邸である「御新丸」や「清水御殿」がありました。




大手門跡





日影門跡





中ノ橋門跡





下の橋・搦手門跡





【遠曲輪】

盛岡の城下町は、中津川を境として、右岸を河北、左岸を河南としています。
河北は現在の本町や中央通、河南は上の橋町、紺屋町、肴町、下の橋町、南大通、馬場町などです。この周囲には遠曲輪の堀がめぐっていました。
西側の堀は赤川堰-四ツ家の地蔵尊の裏にあった堰。
北側の堀は四ツ家町の北側-仁王小学校の前で赤川堰から分岐して、光照寺、大泉寺の北側をとおって下小路まで達していました。
東側の堀は上の橋の北側から始まり、加賀野小路の東側をとおり、肴町の東側から南大通を経て、南の新穀町惣門に達していました。
この堀に沿って七つの桝形(惣門)が設けられていました。
この7つの惣門は、西側から仁王惣門、四ツ家惣門、北山惣門、下小路惣門、東側は加賀野惣門、八幡町惣門、新穀町惣門がありました。




新穀惣門跡





仁王惣門跡





北山惣門跡





加賀野惣門跡





四ツ家惣門跡





下小路惣門跡





八幡町惣門跡





【御前水 御田屋清水】

城下第一の清水として、公共・大奥御用、御茶道の水にあてられていました。
泉所には番所が設置されており番人を常置、「泉木戸」は常時施錠されていました。
泉水に添えて雌雄双鶴が放し飼いされていたと伝えられています。
御田屋清水の名称は、南部氏の故城三戸城の本丸下にも所在し、縁によってその故名を付けたと考えられています。





南部藩主の菩提寺
南部藩主の菩提寺は、盛岡城真北、通称北山の旧桜山に聖寿寺と東禅寺の2ヶ所があります。
聖寿寺は三戸より移転したもの。南部守行公の位牌所とされる東禅寺は閉伊郡附馬牛つきもうしより移転されたものです。
26代信直公の御墓は三戸郡南部町三光寺じ所在しています。
なお、古図によると歴代藩主の墓所は覆堂があり現状とは異なっていたようです。
聖寿寺最奥にある五輪塔は鎌倉時代のもので大正10年に鎌倉から移転され、
 初代 南部光行公
9代 南部祐政公
11代 南部信長公
12代 南部政行公
といわれています。

聖寿禅寺
岩手県盛岡市北山2丁目12-15
大光山、臨済宗妙心寿派

寺伝によれば、建保年間(1213~1219年)に初代南部光行公の菩提のために三戸に建立しました。以後南部家の菩提寺となります。
開山は国済国師で、本尊は釈迦如来です。
慶長年間に盛岡に移されました。
安産地蔵として祭られている「お亀地蔵」があります。
中興の祖、大道和尚は当時の上田地区の開発の恩人でもあります。
上田に本寺が移されてから北山と称したといわれています。寺領五百石でした。

東禅寺
岩手県盛岡市北山2丁目9-17
大宝山、臨済宗

寺伝によれば、本尊釈迦如来は遠野の豪族阿曾沼妙春の寄進によります。
開山は建武年間無尽妙代大師によります。
開基は南部13代守行公で、重直公のときに三戸より盛岡に開創しました。
境内には天明飢餓の「4人供養塔」があります。
寺領二百四十石でした。



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