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盛岡城跡公園(岩手公園)

  盛岡城跡公園は、南部藩主の居城であった盛岡城の旧跡です。 盛岡城は南部信直が築城し、三代・重直の時代寛永10年(1633)に完成しました。 盛岡城を解体後、石垣だけが残された城跡を整備して造られたのがこの盛岡城跡公園です。現在は内堀・石垣に往時を偲ぶだけですが、岩手公園として市民の憩いの場としてだけでなく、観光地としても多くの人が訪れます。 春の桜や秋の紅葉、梅林、藤棚、アジサイ、バラ園などもあり、さまざまな木々花々が四季を彩ります。そして冬は墨絵のような雪景色にすっぽりと包まれ、ライトアップされた石垣が幻想的な冬の夜を演出します。 盛岡城跡公園と呼ばれるようになったのは開園100年を迎えた2006年からで、それまでは岩手公園と呼ばれていました。現在も正式名称は岩手公園とされています。 城そのものの姿はなくなってしまいましたが盛岡産の花崗岩を使用した石垣を含め、その美しい遺構は東北三名城のひとつに数えられていて、「日本100名城」にも選定されています。

盛岡城が盛岡城跡公園になるまで

南部藩主の居城であった盛岡城は、明治の廃藩置県の後明治5(1872)年に陸軍省所管となり、明治7(1874)年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。 明治39(1906)年、岩手県が南部家より盛岡城跡を借り受け、近代公園の先駆者である長岡安平氏の設計により、城跡を中心とした公園として整備され、「岩手公園」として開園しました。 平成18(2006)年、岩手公園開園100周年を記念し、公園の愛称を「盛岡城」を入れた「盛岡城跡公園」としました。 盛岡城跡公園は「日本の都市公園100選」「日本100名城」「日本の歴史公園100選」にも選定されています。

園内おすすめスポット

盛岡城跡公園は春は桜、秋には紅葉の名所として県内外から人々が訪れる憩いの場所として親しまれています。ほかにもバラやアジサイ、ツツジなどの草花が季節を通じて楽しめます。 そして盛岡城跡公園は、街の中心地にありながら北上川の支流、中津川に面しているため、初夏にはホタル鑑賞ができるほどの豊かな自然も残されています。 また、盛岡は多くの文豪を輩出しており、園内には数々の詩碑や記念碑なども建てられています。

盛岡城の石垣

盛岡城の石垣は、全て城内とその周辺(内丸など)で産出した花崗岩によって築かれています。石垣は構築された時期などによって異なった積み方が見られ、自然石をそのまま積み上げる「野面積(のづらづみ)」、大小様々な割石をパズルのように積み上げる「乱積(らんづみ)」、方形に整えた石をレンガを積むように横目地をそろえて積み上げる「布積(ぬのづみ)」などが見られます。 石垣は江戸時代以来、地震のほか降雨や樹木の根などの影響を受け、次第に傷みが進み崩れる心配がある箇所がでてきました。このため、石垣の詳しい調査を行い、石垣総面積約1万6千平方メートルのうち、傷んでいる約5000平方メートルを解体修復する作業を昭和59(1984)年から行っています。
 

亀ケ池・鶴ケ池

盛岡城の内堀跡で中津川から水を引いています。桜山の鳥居を挟んで、西側が「亀ケ池」、東側が「鶴ケ池」と名付けられています。5月には鶴ケ池の藤棚、7月になると池を取り囲むアジサイが満開になります。
 

ホタルの里

鶴ヶ池から中津川に注ぎ込むせせらぎです。モミジ林に包まれたせせらぎは落ち着いた空間を形成しています。  

時鐘(日影門外時鐘)

この鐘はもともと日影門付近(現在の中央郵便局付近)の土塁上に存在したものですが、明治期に内丸の岩手郡役所敷地内に移設、その後さらに現在地に移設されたもので、昭和30年頃まで盛岡の人々に時刻を知らせていました。 この時鐘は,4代藩主南部重信(しげのぶ)の時代に、その子行信(ゆきのぶ)の発願によって、延宝7(1679)年に京都から釜師として迎えられた小泉五郎七清則の手によって鋳造されたものです。 昭和30(1955)年ごろまで約280年に渡って盛岡の人々に時刻を知らせ、生活の調べとして親しまれてきました。 昭和42(1967)年6月24日に市の指定文化財になり、平成27(2015)年11月6日に県の指定有形文化財となっています。

彦御蔵

城内に残る唯一の藩政時代の建築物で、諸道具類を納めていたと考えられています。創健は寛延2(1749)年ですが、江戸時代後期の天保7(1836)年に火事により焼失し、翌年に再建されました。 建物は木造総二階建ての土蔵造りで、内部を上下四つに仕切っています。 外壁は漆喰塗り仕上げ、屋根は野地板の上に土を塗り、その上に木造屋根組を行う二重構造で瓦葺です。出入口は両開きの漆喰戸で、その内側に片引板戸が2枚ついており、外側の板戸外面は漆喰塗り仕上げとなっています。 この蔵は本来、現在地よりも100メートルほど西側に存在していましたが、道路の拡幅工事にともない、かつて「米内蔵」があった現在の場所に移設されています。

文学碑

盛岡は多くの文豪を輩出しているので、盛岡城跡公園内にはたくさんの詩碑や記念碑があります。

石川啄木歌碑

昭和30(1955)年10月建立。 歌碑がある「二ノ丸」は、啄木が学んだ中学校(現在の岩手銀行本店)のすぐ近くにあたります。 啄木はときおり教室から逃げ出し、ここで文学の夢を結びました。 歌碑は、盛岡藩士邸の庭石だったといわれる自然石に、方形の銅板の碑がはめ込まれたものです。

新渡戸稲造文学碑

新渡戸稲造博士生誕100年を記念して、昭和37(1962)年9月に二ノ丸に建立。 新渡戸は10歳まで鷹匠小路に居住し、岩手公園(盛岡城跡公園)で遊んだことにちなんで、この公園に設置しています。

宮野小提灯句碑

句集「矮鶏」中「蓑虫」編の一句として、昭和16(1941)年の太平洋戦争が起こる直前の作品。門下生達により昭和26(1951)年11月に吹上門脇に建立されました。

宮沢賢治詩碑

賢治の死期迫る1カ月前の昭和8(1933)年8月22日の日付のある文語詩百編の中の一詩で、「賢治の詩碑を岩手公園に建てる会」により昭和45(1970)年9月に建立されました。
 
住所 岩手県盛岡市内丸1-55
電話 019-604-3305(公益財団法人 盛岡観光コンベンション協会)
営業時間 (入庫出庫可能時間):7時から22時まで(年末年始を除く)
休業日
アクセス 盛岡駅 → 【バス5分】 盛岡城跡公園前バス停 → 【徒歩1分】 盛岡城跡公園(岩手公園) または盛岡駅から徒歩15分
サイト http://hellomorioka.jp/

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